シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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考えや気持ちを正確に伝えるのが難しい

生活をしていると、当然他者と接する機会がある。そうすると当然だが、会話をすることになる。その会話がお互いに同じ方向性であればハッピーだが、当然そうとは限らない。

そんな時は、当然であるが、お互いの考え方の相違を理解しあうために、意見みたいなものを出し合うことになるのだが、僕はそれが面倒だな、と思う。

当然が多いことは当然自覚している。

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 僕はいつも、ほんとにどうでもいいことをとりとめもなく思考する癖がある、ってことに最近気づいた。

僕は最近、いろいろなことに気づいているようである。

myuandshake.hatenablog.com

 そして、その思考していることのほとんどを、僕はぜんぜん伝えられていないのではないかと思ったのである。

思考している内容が、ほんとにどうでもいいようなことなので、そんなことは伝えられなくても特段支障はないのだが、これが、例えば仕事についてであったり、家庭内における問題についてなどであった場合はやっぱり駄目だろう。

 

会話中、相手の意見を聞いているとき、僕はその内容についていろいろと思考しており、そこはちょっと違うな、みたいなことやその理由なども考えているわけだが、相手が話し終えて、こちらが自分の意見を言う段になると、なんともうまく言葉にならないのである。

そんな時、僕はほんとに虚脱して、ぐったりと沈んだ気分になり、面倒だなと思う。

 

人は言葉を使って意思の疎通をしているわけで、僕は自分の考えを伝えようと一所懸命話すのだが、その内容を相手がまったく理解していない、むしろ反対の意味に捉えていた、なんてことを度々経験しており、まぁこれは僕の会話力や語彙の貧弱さのせいでもあるのだが、そんなことがちょいちょいあると、僕自身も相手の話をちゃんと理解できているのか不安になってくる。

つまり、言葉によるコミュニケーションって、思ったより信用できないものなのかもしれない、なんてことを思ってしまう。

 

ミュウやシャケとは会話によるコミュニケーションは当然できないわけだが(はい、また当然出ました)、そのほうが相手の気持ちを斟酌しようという想いが働いて、きちんと気持ちを受け取ろうとしているようにも思える。

下手に会話できてしまうより、面倒がなくて良いような気がしないでもない、と時々思う。

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