認知症の母から学んだことと猫
僕の母は認知症で要介護1であるが、ケアマネージャーさんからは要介護2でもぜんぜんおかしくないレベルである、と言われている。
そんな母は、誤認の症状が強くでており、自分が置かれている状況がわからなくなったり、父が別人に見えてしまうこともしょっちゅうである。
そういう状態なので、母は言っていることが出鱈目でなにを言っているのかさっぱりわからない、なんてことは日常茶飯事であるが、以前はそれに対して、”いや、そうじゃなくて…”とか、”だーかーらー”などと、母の言葉をいちいち訂正したり、否定したり、現状を理解させようとしたりしていた。
そうすると母は急に機嫌が悪くなり、その怒りの矛先は父に向かって、”もう家を出ていく!”などということになったりしてもう手が付けられない、なんてこともしばしばであった。
ある日、母がお世話になっているデイサービスで家族会というものが開催されるという知らせを受け、僕たちは家族で参加することにした。
家族会の目的は、認知症の患者に対しそれぞれの家族がどのように接しているか、などの情報交換をし、それらの情報が家族会に参加した家庭で参考になったらいいよね、ということであるが、会の冒頭にデイサービスのスタッフから、『認知症とはなにか』とか『認知症患者への接し方』についてなどの説明があり、その中のひとつを実践することで、母の機嫌が悪くなる頻度が少なくなり、僕たち家族もずいぶんと楽になったのである。
それは、『受容と肯定』というもので、前述のように、母の言葉に対してつい否定とか訂正をしたくなるのであるが、それをぐっと我慢して、『一旦母の言葉を受容し、たとえそれが誤っていたとしても肯定してあげる』、ということである。
そうすることで母にどういう変化があったか。
言動が落ち着き、とても安心しているように見えるのである。
そして実際安心しているのか、母の表情は柔らかくなり、父にきつくあたることも少なくなって、それに伴い父の機嫌も良くなった。
で、僕は思ったのである。
”これって認知症患者だけじゃなく、誰に対しても大事なことなんじゃね?”
うん、きっとそうである。
自らの言動が一旦受容されることで、認められた本人は安心感を得るだろうし、そしてなによりも嬉しいだろう。
そらー、だれだって否定ばかりされててたらおもしろくないし、”やってらんねー”ってなるだろう。
認知症患者に限らずとりあえず他者の意見を受容する、そうすることで無意味にギスギスした雰囲気にならずになんかよくわからないけどいい感じになる、これが大事なのではないだろうか。
などと雑にまとめた僕はあることに気がついた。
”そういえば、ミュウとシャケのことはいつも受容しているな”と。
”海苔くれ!”と言いながら近寄ってくればあげるし、”かつ節くれ!”と言いながらゴロリの寝転がって媚を売ってくればあげている。
果たしてこれは良いことなのだろうか。
うーん。
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