猫と隠された本音
暖かくなると、案の定シャケが寄りつかなくなった。寒い冬の間は、家人が寝静まると僕の部屋にやってきて膝に乗ってきていたが、最近はそんなこともすっかりなくなった。つまり、寒くなくなったきたことだし、あなたの膝で暖を取る必要はなくなりました。という意思を態度で表現しているわけである。うーむ。
このシャケの場合、シャケの意思と行動は一致している。座りたくない膝には座らない。単純明快である。だから、僕は寂しい気持ちになりこそすれ、不快な気持ちになることはない。
先日、妻が友人と会った際、その友人から聞いたという話の内容にちょっと考えさせられた。その話というのは、認知症で施設に入居している友人の父親に、その友人家族が面会に行ったときのことである。
友人が施設で父親と面会した際、その父親は開口一番こう言ったそうである。
『お前たちが来ると米がなくなる』
父親が認知症になる前、友人家族が家に遊びに行くと、いつも嫌な顔ひとつせず、お土産に米を持たせてくれたそうである。それが認知症になった現在、放った言葉が、『お前たちが来ると米がなくなる』である。
認知症になる前から、実は心の奥底でそう思っていたのかどうかは知る由もないが、これは言われた方からすると相当キツイと容易に想像できる。
これがシャケの事例と違うのは、意思と行動にズレがある、というところで、米がなくなるのが嫌だと考えていたのであれば、お土産に持たせなければいいのにそうせずに、実はその米を渡すのを惜しいと思っていたかもしれないというところで、あー、この人はあんな行動を取っていたが心の中では違ったんだ、ということがわかってしまったというのは当事者としては複雑な心境にならざるを得ないだろうと思う。
僕もシャケのように、嫌なところには近づかず正直に生きていきたいものだ、と思うが、そうもいかない現実ってやつはなかなかに手強い。
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