シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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夏の思い出(早朝のベッドにて)

目が覚めて時計を見ると、AM5時だった。

”ごごご、5時ぃ?”

石野陽子のギャグを思い出しながら出窓の方に視線を移すと、こちらを見ているシャケと目が合い、小さく欠伸をした後、”にゃあ”。

すると、僕が目覚めたことに感づいたミュウがベッドの脇にやってきて香箱を作りながら、”早く海苔をくれ”とプレッシャー。右手にシャケ。左手にミュウ。

そんなプレッシャーなどを無視し、”二度寝したいけどできないんだろうなあ”などと思いながら横になったままでいると、蝉の鳴き声が聞こえてきた。再び時計を見ると、まだ6時になっていない。

”僕が子供の頃も、こんなに早い時間から蝉って鳴いてたっけ?”なんてことを考えていると、いつの間にか、そのまま子供時代の夏を思い出していた。

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 小学生の頃、飼っていたポチという犬がいて、それは、友達の家で飼っていた犬が産んだ子犬をもらってきたものだったが、コロコロしていてかわいい顔をしていた。当時、夜になると、犬の鎖を外して自由にさせていたが(大らかな時代でした)、ある日突然、ポチが帰ってこなくなった。それからどれくらいの月日が経ったのかは覚えていないが(1年程度かなと思う)、ある家の庭の犬小屋に繋がれている犬を見て、”あっ、ポチだ!”と僕は直感したのである。その犬は、僕が飼っていた頃のポチから、ずいぶん成長してかなり大きかったが、僕は、”その犬は間違いなくポチだ”と確信したし、僕に気付いたポチも僕をちゃんと認識していた。”こんなところにいたのか”、と思ったそんな夏。

ポチを譲ってくれた友達とは、とても仲が良かった。彼は、頭が良くて、スポーツもできて、イケメン、という、僕とは正反対のキャラだったが、なぜか僕たちは気が合って、しょっちゅう一緒に遊んでいた。毎年、夏休みになると、福岡の薬院というところにあった県営プール(現在は移転して別のところにあります)のスイミングスクールにふたりで通ったものである。バスと路面電車(今はもうない)を乗り継いでプールに行き、プールから出ると、カレーパンを食べながらスコールを飲んで、そこからふたりで歩いて動物園に行き(小学生は無料)、一通り動物を見たらどちらかの家に行き、また一緒に遊ぶ。というのを、夏休みの間、ほぼ毎日のように繰り返していた。だから、僕たちは泳ぎがとても上手になっていて、夏休みに時々開放される小学校のプールにもよく行っていて、なにがきっかけだったのかは覚えていないが、”僕たちは100m泳げる”、ということを先生に言ったところ、”そんなはずはない”、みたいな押し問答になった。すると先生から、”もし君たちが100m泳ぐことができたらなにかご褒美をあげるから実際に泳いでみろ”、みたいな提案があって、実際に泳いでみせることになった。当然僕たちは、あっさりと100mを泳ぎ、先生に向かってドヤ顔をした(多分)。そして、そのご褒美というのが、鉛筆二本で、”学校の備品じゃん!”。その先生の名前や顔はおろか、性別すら覚えていないのに、その鉛筆二本を握っている自分の手の映像はなぜか鮮明に覚えている。そんな夏。

僕は中学二年の時に転校し、その友達とはなかなか会えなくなったが、ある日突然、”今から遊びに行く”、という電話があった。彼はバイクでやってきて、煙草を吸うようになっていた。僕たちは、なんとなくしっくりしない時間を一緒に過ごした後、彼は再びバイクで帰って行った。バイクで帰っていく彼の背中が、僕が彼を見た最後の姿になるのだが、当時はそんなことはわかるわけがない。そんな夏。

彼が高校生の頃、白血病で亡くなった、ということを知ったのは、僕が社会人になってからだった。それを聞いた僕は、”それは冗談だ”、と思い、笑ったのを覚えている。僕は去年、彼が住んでいた家を訪ねてみた。驚くべきことに、その家はそのままの姿で残っていた(空き家だった)。いつも僕が自転車で出入りしていた庭の小さな扉もそのままで、扉の隙間から中を覗くと、彼の部屋だったところも見ることができた。彼が亡くなった季節を僕は知らないが、きっと夏だったんじゃないか、と僕は勝手に想像している。

”さて、そろそろ起きるか”

ベッドを出て、リビングに向かって歩き出すと、エサをもらおうとミュウとシャケが僕の後ろを一緒に歩いてついてくる。

ドラクエか!

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