シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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猫と願い事

先日、妻と近所の神社に参詣した。

おみくじをひいてみると、吉だか末吉だったが、それはどうでもよい。

そのおみくじを境内の木の枝にくくりつけようとしている時、すでに木の枝にぶら下がっていたある絵馬が目に留まった。正確に言うと、絵馬そのものではなく、絵馬に書かれていた願い事に目が留まったのである。

そこには、『神様、助けて下さい。』と書かれていた。ただそれだけ書かれていた。

これを書いた女性(絵馬に氏名などは書かれていなかったので、実際に女性なのかはわからないが、文字の雰囲気から若い女性をイメージしたので、以降も勝手に女性ということで話を進める)の身になにが起きたのか、もしくは起きているのか、僕の想像は勝手に膨張して、この絵馬を見てからほぼ一週間が経つが、いまだにこの絵馬のことをあれこれと考えている。

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 彼女が神様に救いを求めていることは間違いないが、彼女にどのような問題が発生し、どのように解決してほしいのか、という具体的なことは一切明らかにされていない。

これではさすがの神様も困るのではないだろうか。

 

たとえば友人から、”とにかく助けてほしい、なにをどう助けてほしいのかは言えないけど。”、などと頼まれた場合、僕であれば、”えっとー、とりあえず頑張れ!”くらいしか言えないと思う。

 

なぜ彼女は具体的な救いについてを絵馬に書かなかったのか、について考えてみた。

そして、思いついたのが、彼女の悩みの数量が膨大過ぎて、それらの悩みひとつひとつを絵馬に書いた場合、いつ書き終わるのか見当もつかない、また、通常の絵馬にそれらの悩みを書くとなると絵馬がいくつあっても足りない、という問題が発生したのかもしれない、ということである。それらの問題を一気に解決するために、『神様、助けて下さい。』という、”とにかく全部ひっくるめてよろしく!”、みたいな手段をとった、ということが考えられる。

 

さらに考えられるのが、絵馬に具体的なことを書くとなにかと問題がある、ということである。

たとえばであるが、彼女は想像を絶するほどのお金が自動的に振り込まれるほどの大富豪で、それらのお金を管理することはおろか浪費することさえできない。それでもお金はどんどん増え続けており、そのことで彼女の精神は錯乱し、紙幣を燃やすことにした。

現代は、ダイオキシン発生などの理由から焚火も自由にできない。それを、こともあろうか、彼女は紙幣で焚火をしているのである。これは罪深い行為である。

彼女はその紙幣を燃やすという行為を起因とした良心の呵責、苦しみから逃れるために、絵馬に、『お金が増えすぎて困っています、なんとかしてください』などと書きたかったが、それを書いた場合、その絵馬をたまたま見た、金をあまり持たないキティちゃんのサンダルを履いてコンビニにいるような若者から襲撃され命を落とす、などという事態に巻き込まれる怖れがあり、しょうがなく抽象的に、『神様、助けて下さい。』と書いた、ということである。

”そんな悩みであれば、僕がいつでも相談に乗るのに”、という気持ちが湧いてきたが、そんな気持ちが湧いてきてもどうしようもない。

 

そんなことを考えながら帰宅すると、ミュウとシャケがCIAOちゅーるを求めて近寄ってきた。

ミュウとシャケの願い事は常に身の丈に合っている。

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