シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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神社で参詣した時の感覚と日記

 自宅から歩いて30分ほどのところに神社があって、今年に入ってからというもの、僕と妻は度々ウォーキングがてらその神社に行き参詣している。

そこは歴史がある由緒正しい神社であるが、その割に参詣する人がそれほど多くなく、ちょっとひっそりとした雰囲気なのが僕は気に入っている。

鳥居をくぐって階段を上ると、そこにはご神木があって、僕はそのご神木の姿も気に入っていて、しばし見入る。

また、鳥居をくぐる時、以前はなにも意識することなく普通にくぐっていたのだが、最近ではなんとなく一礼してから通り抜けるようになったりして、なんらかの心境の変化というようなものがあったのかどうか自覚はないが、もしかしたら神社に何度も行くうちに、神聖な場所に対する畏れのような気持ちを自然と抱くようになったのかもしれない。

先日もその神社に妻と歩いて行った。ものすごく良い天気だった。そして、いつものように参詣をしている時、急になんの前触れもなく突然僕の中で腑に落ちるものがあった。

それは突然自分の中(みぞおちの辺りのような気がする)に降ってきて、それを納得するとかしないとかを選択するようなものではなく、そのまま僕の中で消化してしまって後にはなにも残っていない、そんな感じだった。

僕の身体の中に溶けてしまった、というのが表現としては近いかもしれない。

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 昨年の12月途中から日記を書き始めた。

僕が書き始めた日記はパソコンのなんらかのアプリに文字を入力するというものではなく、ノートにペンで書き綴るというスタイルである。

なぜキリのいい1月から始めずに12月スタートなのか、特に理由はないが、とにかく日記を書こうと思い立って始めたのである。

仕事中、メモ帳に備忘のためにちょっとメモする、なんてことはしょっちゅうあるが、ある一定量の文章をノートに書くなどということをするのは何年ぶりだろうか。

日頃、パソコンやスマホで文字を入力し文章を綴ることに慣れてしまっていたので、ペンで文字を書くという、以前は当たり前だったことが非常に新鮮に感じられるということに驚いている。

 

日記には特別なことを書いているわけではなくて、 ”焼き鳥を食べた”とか”アマゾンから本が届いた”とか”『15時17分パリ行き』を観た”とか”ミュウはそれほど体重が増えてないらしい”とか”シャケの歯肉炎が再発したかも”とかそんなことばかりで、書き始めてから3ヶ月ほど経ったが、読み返したことは一度もない。そんなものだろうと思っている。

 

そんなわけで、神社で僕が体験した”腑に落ちた”ことも日記に書いた。

今、日記が手元にないので、その体験を通じて僕が何を思ったのかはわからない。ほんの数日前の出来事だが、その時僕が何を思ったのか、もう思い出せないのである。

僕がこの日なにを思ったのかを確認するために、初めて日記を読み返すかもしれない。日記とはこういう時に役に立つものなのであるんだなあ、と実感した。

それにしても人の記憶力とはこの程度のものなのか、または、僕の記憶力がヤバいだけなのか。

とりあえず、日記を書いていて良かった。書いていなければ、その時の僕の思いは永遠の謎になっていただろう。

 

ちなみに、その腑に落ちたものとは、”僕は我儘で傲慢である”という認識であった。

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