シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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猫コントロール

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猫、特にクーは、一日の行動パターンが決まっている。その行動パターンの中には私も含まれているように思う。クーがやりたい行動の中には、クー単独では完遂不能だが、私が関わることで完遂できることがあるからだ。深夜に餌をもらうこと、ベランダに出て、フェンスの隙間から外を眺めること、夜、私の膝で眠ること、などだ。クーは、自らの欲求を実現するためには私の助勢が必要であることを理解しているように思う。たとえば、猫トイレを掃除すると、当然、片付けた排泄物はいったん汚物入れに入れなければならない。ということは、私は汚物入れが置かれているベランダにアクセスする必要がある。クーはそれを理解していて、まずトイレで排泄をする。終わるとトイレから出てどこかに歩いて行く。それを確認後、私はトイレを掃除し排泄物が入ったビニール袋を持ってベランダに向かうわけだが、そこに既にクーが座って待っている。先ほどクーが歩いて行った先はベランダの窓のところだったのだ。クーはベランダに出て、フェンスの隙間から外を眺めるのが大好きなのだ。つまり、クーはベランダに出るためにトイレに行く、とも言えるのではないか。クーがベランダに出たいと考える、じゃあトイレで排泄すればやっこさんが排泄物を片付けてベランダに持っていくからベランダに出られる、ではトイレに行こう、ってことを考えているのでは、ってこと。これって、私はクーにコントロールされている?ということだ。では、クーもなにかにコントロールされているとは言えないだろうか。クーがベランダから外を眺めるが好きなのは、外で動いている人や自動車に興味があるからだ。そして、外で動いている人や自動車は何か目的があり移動しているわけで、それらの目的が発生するためにはまた別の原因があり、その別の原因にはさらに別の原因があり...(以下ループ)。このように考えると、すべてはあらかじめ決定しているのではないか、今、私がこうして猫たちと暮らしているのも、あらかじめ決まっていたのだろうと思う。ピース。

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