シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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麻酔の擬似体験から見える死の身近さ

昨年2月に自転車通勤を始め4ヶ月ほど経ち、シングルスピードにもずいぶん慣れてきたなと思っていた2023年6月のある日、コケた。

時期は6月ですでに日差しが強い季節。自転車通勤用の帽子をその数日前に購入。その日僕はその帽子をかぶり家を出た。

自転車にまたがり少しの距離下り坂を下る。風圧を受けかぶっていた帽子が飛ばされそうになったので片手で帽子を押さえたその瞬間、バランスを崩して転倒したのである。時間的には家を出てほんの数分しか経っていない。

大きな事故の後などでよくあることだが、僕はすぐに行動することができた。具体的には、僕はすぐに起き上がり、倒れた自転車が自動車の通行の邪魔にならないようにずるずると引きずって道路の脇に移動させ、職場に遅れて出社する旨のメールをしたのである。それから一旦帰宅するために自転車を起こそうとしたがどうしても起こすことができない。そこで妻に電話をして迎えに来てもらうことにした。

すぐに駆けつけてくれた妻は、自転車を自宅まで移動し、救急車を呼んでくれた。僕は数分後到着した救急車で総合病院に運ばれ、脳のCT検査と上半身のレントゲン検査を受けた後、そのまま入院することになった。遅れて出社するどころの話ではなくなったのである。

検査の結果、肋骨9本と左鎖骨が骨折していた(頭にたんこぶもできていた)が、幸い脳の出血はなかった。それでもまぁ大怪我である。自転車を起こせなかったことがここで腑に落ちた。

入院後の一週間は身体を走る激痛のため寝たきり状態で(寝返りはもちろん、少し横向きになることもできなかった)、この間、とにかく動けないので、下の世話も看護師さんにしてもらうという経験を通して、たぶんこれまでの人生で最も強く健康であることの本当の価値を感じたように思う。そして、昼夜を問わず忙しく仕事をされている看護師さんを実際に見ることで、エッセンシャルワークの重要性などを実感したのである。その後、痛みはあるものの少しづつ動けるようになり、やっと自力でトイレに行き用を足せた時は謎の勝利感を味わった。うおおおおおお!自力で排泄行為ができなくなることは自尊心が傷つけられるものなのだということも実感することができた。

手術は骨折した左鎖骨を金属プレートで固定するというものだったが、僕にとって初めての麻酔を経験した。たぶん、麻酔が効いている状態というのはきわめて死に近いものなんじゃないだろうか。まったくの無の世界だった。あのまま目覚めないのが死であるように思う。その半年後、金属プレートを取り出す手術を受けたが、その時の麻酔でも同じことを思った。この麻酔の経験が、僕の中で死の擬似体験のように思えて、死が少し身近に感じられるようになった。

入院は約一ヶ月ほどで(遅れて出社するどころの話ではない)、その間、生活範囲は病院内に限られ、食事は3食きっちり食べていたのだが、体重はしっかり落ちた。栄養管理された食事はすごい。(現在ではしっかりリバウンドしオーバーシュートしているが)

今はすっかり元気になり(いまだに左鎖骨辺りに痛みはあるが)、懲りずに再び自転車通勤をしている。僕は、自転車にドライブレコーダーを付けていて、この事故時の動画をこわくてしばらく見ることができなかった。しかし、意を決して見たところ、映っている動画はぜんぜん大したことがないもので、カメラがパタリと倒れただけのような感じだった。不思議だ。これでなぜあれほどの大怪我をしたのか。確かに自転車もペダルとサドルに傷が付いている程度だったので、僕だけが激しく衝撃を受けるような倒れ方をしたんだろうと思う。

この自転車による事故を通じて、死というものを身近に感じることになった。それは、麻酔によるものでもあったし、この事故でほんとうに死んでいたかもしれないという事実からも実感した。

(医者からは、死んでもおかしくないほどの事故である旨伝えられた。)

死はたぶん、突然訪れて、そのまますべてが終わるような感じなんだろう。

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