猫と脱力(力を抜くことによる効果)
”もっと力を抜け”、などという言葉をよく聞くし、時々は言われたりもする。
どういう時にそのような言葉が使われているかということを考えてみると、なんらかの緊張を強いられているような状況においてなんらかの成果を出さなければいけない、みたいな場合が多いと思われるが、それ以外でも使われることがあるような気がする。
例えば、なんらかの理由で怒っている人などに対して、”まあまあ、そんなに怒らないで、もっと力を抜きなさい”、みたいな感じである。
そこからは、”ぷんぷん怒ってたってなんの解決にもなりませんよ、力を抜いて最善の解決策を見つけましょうよ”なんてことが読み取れるように思う。
こういうことから考えてみると、『力を抜く』ということは良いことのようである。
では、”さっそく力を抜いてみよう”、なんて考えて、いざ力を抜こうとしてみたが、力が抜けない。
”おっかしいなあ”、などと言いながら何度か試してみたが、なかなかうまくいかない。そこで、僕はある考えに至った。
”もしかして、もう抜けてるんじゃね?俺の力”
鏡に映った僕の姿は、力が抜けすぎて猫背になっていた。
これまでのことを整理して考えてみると、まず初めに、『力を抜くことはなにかと良いことである』ということが前提にあって、ではなにがいいのか、というと、『力を抜くことで困難な局面をなんとか乗り切ることができ』たり『なんらかの問題に対する最善の解決策を見つけることができる』、ということになりそうである。
つまり、力まずに力を抜いて物事にあたればなにかとうまくいく、ということである。
そして、僕はすでに力が抜けている。つーことは、すでになにかとうまくいっている、ということになるのだが、そこで、ほんとにうまくいっているのだろうか、という疑問が出てくるのは自然なことだろう。
そこで、今の自分自身が本当にうまくいっているのか、ということを確認する手段を考えてみたが、導き出された答えは、”そんなものはない!”ということだった。
まあ、そうでしょうね。
その理由としては、うまくいっているかどうかを判定する基準なんてものがそもそも存在しない、ってことがあって、判定基準が存在しない以上判定ができないわけで、結果的に確認もできない。
じゃあ、自分がうまくいっているのかを確認することは不可能なのか?、というと、僕はそれは可能なんじゃないかと思っている。
”じゃあ、うまくいっているかを確認する手段はあるんじゃねーか!”、ということになるかと思うが、”あったね”としか言いようがない。
先ほどの話からすれば、今現在、自分はうまくいっているのかの確認を可能にするには判定基準が必要になるわけなので、判定基準を見つけないといけないということになる。
では、その判定基準はどのこあるのか?
僕が持っている。
それしかないと思うのだが、その判定基準というのが割と曖昧で、加齢による考え方の変化によって変わったり、下手をすると、その日の気分なんかで変わってしまうから始末が悪い。
では、今現在の気分など、バイアスがかかっていることを前提として、”今、俺はうまくいっているのか?”、と自問したところ、”ビミョー”、という結論に達したのである。
一旦結果が出た。そして、その結果はあまり芳しくない。
となると、次に考えることと言えば、”どうしたらもっとうまくいくのか?”、ということになる。つまり、対策を立てないといけないわけだが、そのためには原因を究明しなければならない。当然である。原因がわかりもしないのに対策が立てられるはずがない。ここは案外重要なところのような気がする。
では、今現在、なにが問題なのか、考えてみたい。
まず、家族であるが、母が認知症であるという問題はあるが、現在、グループホームに入居しており、母もそこでの生活に慣れていることから、この問題は一旦収束している。ということで、家族内に今のところ問題はないと思う。
次に経済的な面についてであるが、僕はサラリーマンなので、毎月決まった給与が銀行口座に振り込まれている。その金額が多いのか少ないのかの基準はまた別の問題なのでここでこと細かに触れることは避けるが、まあ裕福とは言えないがなんとか生活はできているので問題ないと言って差し支えないだろう。
”じゃあ、なんでビミョーなん?”、と問われれば、”サラリーマンとしてやっている仕事がクソおもしろくねー!”、ということになる。
”じゃあ、仕事辞めればいいやん!”、という方がネットやスピリチュアルな世界の人にしばしば見受けられる。
まあ、仕事が嫌なら辞める、という極めてシンプルな思考は魅力的ではある。でも、仕事を辞めたら生活費をどうするか、という問題が浮上するが、スピリチュアルの人は、”神様が見ています”、なんつって励まして下さる。しかし、実際に仕事を辞める僕からしてみるとなんとも心許ないわけで、そんなことを言っている人に、”会社辞めたんだけど生活費がなくなっちゃって、お金貸して!”、などと極めてリアルな問題発生について談判しても、警察に通報されるだけである。であるから、実際に目の前で神様が、”まあ、なんとか善処してみるわ”、なんて言ってくれると、”マジっすか?!、じゃあ、さっそく会社辞めてきます!”、ってなって、ハッピーな気分になれそうなんだけど、それはたぶん実現しない。
ということに加え、これは結構厄介な問題だと思われるが、『会社を辞めた後になにをするのか?』ということがある。これがなかなか見つからないから、いつまでもグズグズ思い悩んでいて、気がついたらこんな年齢になっていたのである。
ということなので、僕のささやかな問題についての対策は現状では見つかっていない。
とりあえずは、さらに力を抜くことができるようにミュウを観察してみたい。
もっと力を抜くことができれば、思考なども変化するかもしれない。
まあ、ミュウの場合は、『力を抜く』、というより、『脱力』だけど。
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