シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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愛の塊

他者を愛する、ということがどうもうまくできない。困ったことである。

ここで言う他者とは、よくよく考えてみると、人間に限られているような気がするので、端的に言うと、僕は人嫌い、ってことなのかもしれない。

 

さらに考える。

ではなぜ僕は人嫌いなのか、と。

たぶんひとりっ子だからかなぁ、などと、あんまり面白くもおかしくもない結論めいたものをぼんやりと導きだしたのであるが、それは置いといて(置いとくんかい!)、やっぱり、愛は素晴らしいと思うのである。

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 僕の母は認知症である。

最初は同じことを何度も尋ねたり、確認したりする程度だったのだが、最近は、時々父のことを認識できない時もあるほど病状は進行している。

母は、元来明るい性格ではあったが、自分の意見などをあまり人に言うような性格ではなかった。

しかし、この病気が進行するに従って、母は、自分の意見などをはっきりと口にするようになったのである。時々僕のほうが驚くほど、嫌いなものは嫌いとはっきり言うので、どきどきすることもある。

 

そんなふうに性格が少し変わってきた、というか、本来の性格が表面にでてきたとも思われる母の言動を見てみると、すべては愛の塊ではないか、と僕は思ったのだった。

 自分の言動を端から忘れてしまっているのであるが、その言動の源は、周囲の人たちに愛情を注ぐ、ということであり、そのために、いつも動きまわっているのである。

寒くないか、空腹ではないか、仕事は順調か、などをいつも気にかけ心配しており、とにかくなにかをしてあげようという、その気持ちで行動している。ていた

 

先日、実家に泊まることがあり、母がなかなか寝付かないので、僕は母のベッドの脇にしばらく付き添っていた。

その時も、母は、いつ単身赴任をしなくてよくなるのか、風邪はひいていないか、そして、僕が小さかったころのことなどを話しているうちに、やっと眠りに落ちたのだった。眠る直前まで僕のことを心配してくれていたのである。

 

そんな母を見ていると、僕は自分が恥ずかしくなる。

母のように他者を愛したい、と思うのである。

ミュウやシャケのことは心から愛している、と自信を持って言えるのだが、どうも人間に対してはね。

 

いつまでもなにかを教えてくれる母は偉大である。

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