ミュウとシャケのぬくぬく日記

仲良く喧嘩するミュウとシャケの日記

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猫の器

猫の器なんてタイトルを付けたが、エサを容れる容器のことについてなにか言いたいわけではない。

人によって持って生まれた器の違い、つまり人間としての度量の差みたいなものが、猫にもあるのではないか、ということが言いたいわけで、なぜそんなことを思ったのかというとミュウとシャケを見ていてふと感じたからである。

 

まあ僕のように、”あいつが嫌いだ、地獄に落ちればいいのに”とか”あ~とりあえずビール飲みたい”とか”仕事したくねー”みたいなことばかり考えており、人間としての器が小さく、またクオリティが低い男が語ることではないとは思うが。

myuandshake.hatenablog.com

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僕が思うに、 シャケという猫は器が大きいように思う。

シャケはとにかく臆病な性格であるが、その臆病さの奥底には、単純に身の回りのすべてを排斥したい、みたいなことだけではなくて、”自分が安全でいたいのはもちろんそうであるが、いざとなれば状況のすべてを受け止めて最後に見苦しくじたばたするようなみっともないことはしない”という意志のようなものを感じることがある。

 

先日、病院に行った時なども、ケージを出した途端なにかを察知したのか、しれっと離れていこうとするのを抱きかかえ引き留めると、それにより本格的にヤバっ!と思ったようで、”ケージにはぜってー入らねー”みたいな感じでじたばたして、ケージに押し込められるとひたすら物悲しい声で鳴き続けていた。

そしてそれは病院に到着するまで続いたのであるが、診察室に入ると、”勝手にしやがれ”みたいに大人しくなり、口腔内を獣医にも自ら進んでとはいかないまでも素直に診せていたのである。

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こういう行動からシャケの心の奥底にある、”最後はすべてを受け止めますよ”

、という意思のようなものを感じ、”シャケはいざとなれば開き直ることができる肝の座ったやつであるなあ”と僕は思ったのである。

 

つまり、最終的には私がすべてひっかぶりますよ、という意思、それが重要で、それを持っているかどうかが器の大小なのではないか。シャケにはそれがあり、つまりは器が大きい猫である、と言えるのではないだろうか。

違うような気もするが。

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