シャケとクー(とミュウ)のぬくぬく日記

仲良く喧嘩するシャケとクー(とミュウ)の日記

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新しい世界とこの季節

”春になったなあ”と思うようになった。

通勤手段が自転車ということもあり、気温や湿度など気候の変化に対して敏感になっているということもあって、”春になったなあ”などと思っているのである。まったく外の世界は確実に変化し続けている。

僕はアレルギー持ちということもあり、春という季節がそれほど好きではないが、何はともあれ暖かくなるのは嬉しい。

そして春といえば、なにかと環境が変わる季節でもあって、各人ひとりひとりに変化があったりなかったりして、その変化の有無をどのように受け取るのか、それもまた人それぞれではないかと思う。

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神社で参詣した時の感覚と日記

 自宅から歩いて30分ほどのところに神社があって、今年に入ってからというもの、僕と妻は度々ウォーキングがてらその神社に行き参詣している。

そこは歴史がある由緒正しい神社であるが、その割に参詣する人がそれほど多くなく、ちょっとひっそりとした雰囲気なのが僕は気に入っている。

鳥居をくぐって階段を上ると、そこにはご神木があって、僕はそのご神木の姿も気に入っていて、しばし見入る。

また、鳥居をくぐる時、以前はなにも意識することなく普通にくぐっていたのだが、最近ではなんとなく一礼してから通り抜けるようになったりして、なんらかの心境の変化というようなものがあったのかどうか自覚はないが、もしかしたら神社に何度も行くうちに、神聖な場所に対する畏れのような気持ちを自然と抱くようになったのかもしれない。

先日もその神社に妻と歩いて行った。ものすごく良い天気だった。そして、いつものように参詣をしている時、急になんの前触れもなく突然僕の中で腑に落ちるものがあった。

それは突然自分の中(みぞおちの辺りのような気がする)に降ってきて、それを納得するとかしないとかを選択するようなものではなく、そのまま僕の中で消化してしまって後にはなにも残っていない、そんな感じだった。

僕の身体の中に溶けてしまった、というのが表現としては近いかもしれない。

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CIAOちゅーるは猫における締めのラーメンのようなもの

ミュウとシャケが、”早くエサをくれ”、みたいな顔で僕を見るので皿にエサを入れる。

すると、当然だが、ミュウとシャケはエサを食べるのだが、食べ終わった後もなんかこちらをじっと見ている、なんてことがよくある。

これは、”エサは食べたし美味しかった、そこでなんか最後の締めになにかない?”、と言っているのではないか、と僕は思っている。

僕が若い頃、友人たちと酒を飲んだ後にはほぼ必ずと言っていいほどラーメンで締めていた。飲んだ後のラーメンという流れはごく普通のことだった。

福岡はやはりラーメンの文化が根付いている街なのである。

なので、もつ鍋のような高カロリーなものを散々食べ、二次会三次会と酒を飲んだ後でも、”じゃ、締めにラーメン行きますか”、などと言いながら当然のようにラーメン屋に行き、よせばいいのに替え玉までする、などという滅茶苦茶なことをやってきた。

そんなことを続けるとどうなるか。身体がだんだん大きくなってくる。

これは、成長に伴い身体が大きくなっているなどということではなく、脂肪などが身体に蓄積されて大きくなってくる現象、いわゆる肥満という形で身体が大きくなっているのである。

では、そもそもなぜ、酒を飲んだ後の締めが必要なのだろうか。

僕の勝手な推測であるが、締めという区切りの行為をしないとはしご酒が延々と続くから、というのが理由ではないかと思うのである。

”酒も飲んだ、ラーメンも食べた、だから今日はこれで終わり!”となんらかの線引きをする行為がないと、僕のようにだらしのない人間はだらだらとはしご酒を続けてしまうのである。

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本音と建前、そしてかわいがられる性格という才能(犬派から猫派へ)

僕は、時々会議に出席する。

会議にもいろいろあるが、その中のひとつに各地区の担当者が集まっていくつかの議題について議論するというものがある。

つまりそれは、共通の問題や課題などについて、各地区の同部門で共通の認識を持とう、というのが目的のひとつでもある。

このような各地区からメンバーが集まる会議というのは、以前一緒の職場で働いた懐かしい顔があったりするし、会議後の懇親会の場で(こういう会議は懇親会がセットになっている)近況報告や情報交換ができるのでとても楽しみである。

そんな懐かしい顔ぶれが集まって酒を飲みながら話をしていると、酒が進むにつれ、先程まで行われていた会議のことが話題になったりすることがあるのであるが、そんな時のよくある会話が、”あの議論の結論っておかしくない?”とか”俺はほんとはこう思うんだけどさ~”みたいなことである。

これってつまり、”俺はほんとは会議の結論に納得していない”ということを、会議後の飲み会で表明しているということであって、”だったら会議の時に納得するまで議論すればよかったやん”という極めて単純な話になるのであるが、なぜそんな単純なことができないのだろうか。

それも極めて単純な話で、だいたいの人間は”本音と建て前”というものを使い分けているからである。

嫌な話であるが、大人になるとどうしても本音と建て前を使い分けなくてはならなくなる。

例えば、こういう会議の場合について考えてみる。

ある議題について、出席者が各々意見を表明するなどして、あーでもないこーでもない、と長時間にわたって議論が続き、最終的に出席者全員の意見が満場一致となればそれは素晴らしいことであるが、だいたいそんなことになることは稀で、”なんとなくこの辺が落としどころかな”みたいな空気が会議室を支配していき、”ま、そんなところですかね”というような感じで結論が出る、というような場合である。

そういう”やっとこの議題が片付きそうだ”という雰囲気の時に、”いや~ちょっと待ってください”などと切り出して、”僕はやっぱりこれはいったん白紙に戻して最初から議論し直した方がいいと思うんですよね~”、などという者がいたとしたら、他の出席者はどう思うだろうか。もちろん議題の重要性にも依るが、大した議題でもない場合であれば、”いい加減にしろ、このナマズ!”みたいな視線を浴びることになるだろう。

それはなぜかというと、白紙に戻したい人が他の人から見ると、協調性のない我儘なやつ、に見えてしまうからである。

だいたいの大人はそれがわかっているから、”じゃ、まあ、その辺で手を打ちますか”となるわけである。

大人ってつらい。

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おでこにEと書いてみるとわかること

一週間会社に行かなかった。

母の介護や東京の長女が帰ってきたりなどということがたまたまその週に集中したことから連続して休みを取ったのである。

一週間も会社に行かないなどとということは年末年始やゴールデンウィーク以外ではなかなかないが、会社に行かなくていいってなんて素敵なんだ!

僕は、その一週間とにかくずっと家族と過ごした。その中で思ったのは、”家族と過ごすことは素晴らしい”、ということで、”お前はなにを今更そんな当たり前のことを言っているのだ”、ということを言う方がいらっしゃるかもしれないが、僕はそんな当たり前のことにこれまで気づいていなかったのである。莫迦である。

そんな会社に行かなくていい素晴らしい一週間は、ストレスから解放されていたわけであるが、そんな時間は驚くほど早く過ぎて行く。

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猫の遊び

シャケはとても表情豊かで、よく僕になにか訴えかけるような顔をすることがある。

その訴えかけのひとつがシャケボールで遊ぶことで、以前は廊下にシャケボールを投げて、行ったり来たりしていただげだったのが、最近はそれだけでは飽きてきたのか、あまり反応しなくなっていた。

そこで、ちょっと趣向を変えて縦方向の動きを試してみたところ、シャケも気に入ってくれたようである。


投げたボールを取ってくる猫

myuandshake.hatenablog.com

先日、記事にした、ブーツにじゃれている動画もついでに。


ブーツにじゃれる猫

myuandshake.hatenablog.com

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猫と脱力(力を抜くことによる効果)

”もっと力を抜け”、などという言葉をよく聞くし、時々は言われたりもする。

どういう時にそのような言葉が使われているかということを考えてみると、なんらかの緊張を強いられているような状況においてなんらかの成果を出さなければいけない、みたいな場合が多いと思われるが、それ以外でも使われることがあるような気がする。

例えば、なんらかの理由で怒っている人などに対して、”まあまあ、そんなに怒らないで、もっと力を抜きなさい”、みたいな感じである。

そこからは、”ぷんぷん怒ってたってなんの解決にもなりませんよ、力を抜いて最善の解決策を見つけましょうよ”なんてことが読み取れるように思う。

 

こういうことから考えてみると、『力を抜く』ということは良いことのようである。

では、”さっそく力を抜いてみよう”、なんて考えて、いざ力を抜こうとしてみたが、力が抜けない。

”おっかしいなあ”、などと言いながら何度か試してみたが、なかなかうまくいかない。そこで、僕はある考えに至った。

”もしかして、もう抜けてるんじゃね?俺の力”

鏡に映った僕の姿は、力が抜けすぎて猫背になっていた。

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